─ 霧の夜話 その2 ─






「ずいぶん辛そうに泣いているね。
 我慢せずに、声を上げて泣いてごらん。その方がずーっと楽だよ」

 息を詰まらせ、しゃくり上げる少女に、私はそう声をかけた。

「だって……うくっ……泣くのは……悪い子だもん」

「そんなことはない。
 少なくても、泣いている子は正直だ。
 悲しいという気持ちを、正直に伝えているんだよ」

「泣いていい?」

「ああ、お嬢ちゃんの声は、私にしか聞こえないよ。思いっきりお泣き」

「私のこと、嫌いにならない?」

「ああ、お嬢ちゃんはいい子だ。
 わたしは、お嬢ちゃんが好きだよ」

 少女の顔が、くしゃくしゃに歪み、瞳からは大粒の涙が次から次に溢れ出ては、頬を伝う。
 少女はそれを手で拭いながら、幼い泣き声を響かせた。

 切ない泣き声だった。

 だが、涙は心に積み重なった悲しみを洗い流してくれるだろう。
 私は、少女が落ち着くのをひたすら待った。



 泣き声は、やがて細くなっていき、とぎれとぎれになった。

「ハンカチを貸してやれると良いんだがね」

 私の言葉に、少女は口元にほんの少しの笑を浮かべ、
「いい、わたし、持ってるから」
鼻声でそう言って、スカートのポケットから、ピンクのハンカチを取り出した。

 ハンカチは、ポケットの端に引っかかり、ぴんと跳ね、少女の手を放れてわたしの足元に落ちた。

 わたしは、それを拾おうと、なにげに手を伸ばし、硬直した。
 わたしの手が、ハンカチを通り抜けてしまったから。

 そしてその光景は、少女の視線の先で起こった。
 涙に濡れた瞳を丸く見開き、少女は言った。

「おじいさん、幽霊なの?」

 わたしは、やれやれと小さく首を振り、ゆっくりと答えた。

「恐ろしいかい? 悪かったね。怖がらせてしまったようだ」

 少女は、わたしの顔をまじまじと見つた。

「怖くないよ。 だって、おじいさん、何もしないでしょう? それとも……何かする?」

「幽霊はね、何も出来ないんだよ」

 わたしは、情けない気分で繰り返した。

「……何も出来ないんだよ。 ここでこうしている以外はね」



 しばしの沈黙の中、虫の音が響く。
 遠くに車のエンジン音が、近づき、遠ざかっていった。

 少女が突然、ベンチから飛び降り、砂利の上からハンカチを拾うと、また苦労してベンチに座り直した。
 そして、ハンカチを一降りし、埃を払って顔の涙をぬぐった。

 あまり強くハンカチを顔に押し当てたので、鼻の頭が赤くなった。
 そんな様子をぼんやり眺めていた私に向き直ると、少女は、こんな質問を投げかけた。

「おじいさん、怖くないの? こんなところに一人でいて」

 少女のあどけない質問は、私の心に安らぎを与えた。
 せっかくの話し相手に怖がられてしまうという恐怖感は、思った以上に私を支配していたようだ。
 私は、ふーっと息を吐き出した。

「実はね、はじめは怖かったよ。幽霊に出会うんじゃないかと思ってね」

 幽霊である私のこんな言葉に、少女はくすりと笑った。

「おかしいかい?」

 少女は、首を振る。

「そうだよね。
 私も、ずーっと暗いところに一人きりで居るのは、嫌だもん。
 でも死んじゃったら、暗いところに居ないといけないのかな?」

「さあどうかな?
 私はね、死ぬ前にここに来たいと、強く願ったんだよ。
 そして、気がついたらここに居たのさ」

「どうしてここに来たかったの?」

「おやおや、今度は私の話す番かい?」

 少女は、こくりとうなずいた。

「でも、おじいさんが話すのが嫌だったら……」

 少女の言葉は、私の笑顔を誘った。
 それは、さっきのわたしの言葉だ。

 私は、片手をあげて少女の言葉をさえぎり、口を開いた。

「ここは、思い出の場所なんだよ」






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