慶長8年(1603)の江戸幕府成立から明治4年(1871)の廃藩置県まで、 268年にわたる江戸時代に存在したすべての大名家・藩を収録した インタラクティブ・データベースです。
江戸時代の大名・藩に関するデータを体系的に整理・可視化するWebアプリケーションです。
本ソフトウェアは、「江戸時代の大名は何家あったのか」という問いに正面から向き合うために開発された インタラクティブ・データベースです。一般に「江戸三百藩」と称されることが多いものの、 実際の数字は資料・定義・時代によって大きく異なります。
幕末時点で幕府が公認していた藩は271藩、維新期に新たに認定された藩を含めると 最大286家、そして江戸時代268年を通算すると改易・廃藩を含め 546藩が存在しました。本ソフトウェアはこれら複数の「正解」を それぞれの文脈で提示します。
各藩のデータには藩名・藩主家・種別(親藩・譜代・外様)・石高・地域・ 来歴を収録。検索・フィルタリング機能と石高ランキング、時代別推移グラフ、 廃藩タイムラインを一体的に提供します。
「三百藩」はイメージ上の丸め数字です。幕末の実数は271〜286藩、 通算では546藩。本ソフトウェアは「どの条件でカウントするか」を 透明化することを設計思想の核心としています。
5つのインタラクティブタブで、多角的に江戸時代の大名家・藩を探索できます。
各藩エントリーに収録されている情報フィールドと、データの定義・注意事項です。
本データベースに収録している石高は表高(おもてだか)、 すなわち幕府に申告した公称値です。加賀藩のように実収入が 100万石を超える場合でも、表高102.5万石として記録されます。 実高(じつだか)とは大きく異なる場合があります。
江戸時代には複数の国に同一名の藩が存在しました。 本データベースでは国名を括弧で付記することで区別しています(例:亀山藩(丹波)・ 亀山藩(伊勢))。松山藩・新庄藩・勝山藩・吉田藩・ 田辺藩なども同様に区別されています。
大名一覧(286家)は幕末維新期(1860年代後半〜1871年)を 基準としています。廃藩タイムラインは江戸時代通算で整理しており、 時代別推移グラフは9つの時点スナップショットを提供します。
日本大百科全書(コトバンク)、藩史事典(東洋書林)、 攻城団データベース(505藩以上収録)、 国立公文書館デジタルアーカイブ。 数字に幅がある場合は最大値と最小値を併記しています。
5ステップで、探したい情報にすばやくアクセスできます。
各タブの表示レイアウトのイメージです。
286家・546藩・300藩の定義の違いを比較カードと資料一覧表で解説
全国TOP50を石高バーで比較。種別フィルタで親藩・譜代・外様を絞り込み
カード形式で一覧表示。クリックで詳細モーダルを表示。種別で色分け
江戸時代、「藩」という語は公的には使用されていませんでした。 当時は「御領」「御城下」「○○様御知行所」などと呼ばれており、 「藩」という整理は明治時代以降に行われた行政的な概念です。
そのため江戸時代に「藩の一覧」は存在せず、現代の研究者が 一定の基準でカウントすることで初めて数字が確定します。 本ソフトウェアが複数の数字を並列して提示するのはこのためです。
幕府は原則として1万石以上の知行を持つ者を大名と定め、 参勤交代などの義務を課しました。しかし例外も多く、 松前藩のように石高が1万石未満でも蝦夷地交易の特権を根拠に 大名格を認められた例があります。
逆に1万石以上であっても、幕府との関係や成立経緯によって 旗本扱いとなり大名に含まれない例もありました。 石高だけでは大名かどうかを一律に決定できない点が、 藩の総数に幅が生じる主因のひとつです。
江戸初期、幕府は大名統制を強化するため積極的に改易(取り潰し)を 実施しました。家康・秀忠・家光の初代〜3代の約50年間で 100家以上が改易され、幕府直轄領(天領)が拡大していきます。
元禄期(1688〜1704年)以降は改易が激減し、藩数は安定します。 幕末に至るまで大きな変動はなく、江戸時代の全通算藩数546のうち 約半数は17世紀前半の改易ラッシュで消滅した藩が占めます。
明治4年7月14日、明治政府は全国の藩を一斉廃止し、 府県に置き換える「廃藩置県」を断行しました。 これにより江戸時代を通じて存続してきた藩という制度は 一夜にして消滅します。
廃藩置県の時点では盛岡藩など一部が自主廃藩しており、 実際に廃止された藩は261前後とされています。 本ソフトウェアの廃藩タイムラインでは、 この最終消滅までの過程を時系列で追うことができます。