何故、円形(サークル)になったのか?
何故、円形(サークル)になったのか?

海軍無線電信所船橋送信所跡
この場所にはかつて海軍無線電信所船橋送信所と呼ばれる海軍の無線電信所があったのです。
大正4年(1915)に完成し、中央には高さ200mの主塔、周囲に高さ60mの副塔16基が取り囲む形で、主塔から数本、副塔方向手前の地上に鋼鉄線を張り、副塔へは電信線が延び、支線と電信線にかかる力の均衡をとるために、支線台と副塔は主塔から等距離でなくてはならなかったので、その周囲は円形となり現在も残る円形道路となったようです。

200mの無線のアンテナを立てるため、廻り800mの円形の土地が必要となった。東京タワーのような構造で作ればもっと範囲は狭いところで良かったのでしょうが、当時の技術では主塔を支える方法として鋼鉄線を巡らせるのが容易であったのでしょう。これは横浜市泉区の「旧米軍深谷通信所」跡でも同様に円形になったのでしょう。それが今までずっと残っているというのも面白いですね。
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