悲しき目黒の桜坂「かむろ坂」
悲しき目黒の桜坂「かむろ坂」
東京・目黒には、田園調布本町のそれよりもはるかに長い桜坂があります。その坂の名は「かむろ坂」。一年に一度一週間ほど、桜のトンネルに覆われる美しい坂道には、江戸時代の少し悲しい言い伝えが残されていました。

「禿坂の碑」
江戸時代の延宝七年(1679)、辻斬り強盗を重ねていた元鳥取藩士平井(白井)権八が鈴ケ森刑場で処刑され、権八なじみの遊女小紫はこれを悲しんで自害した。
このとき、帰りの遅い小紫を探しにきたお付の禿が帰り道でならず者に襲われ、逃げ場を失い桐ケ谷の二ツ池に身を投げたという。
これをあわれんだ近くの人が、なきがらを池の傍らの丘に葬り、その後、この一帯の丘陵をかむろ山、これに通じるこの坂を禿坂と呼ぶようになったと伝えられている。

福山雅治の「桜坂」|多摩川散歩 桜坂のある街
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